[misc] 転職・現職体験記として書く。

2019年、社会人になって17年目

私は大学を卒業したのが2003年、そして今日に至るまでITインフラエンジニアと言う仕事をずーっと続けています。気づけば17年目らしいです。今回、記事として書くのは転職と現職の話。
こんな一例もあるんだよという意味合いをもたせて書いてみることにしました。

1社目:とある大手独立系SIerの子会社

1社目は故郷を離れて東京にある会社へ通っていました。ここで新卒から2011年まで働いてました。元々会社紹介の話から既にWindowsがメインになるという話で聞いていたので、特にWindowsに対するアレルギーとかはなかったんですが、学生時代は大半をLinuxやUNIXと過ごしていたので、果たしてWindowsでの仕事ってどうなんだろうかーと思いました。

本当はネットワークエンジニアになりたかったのですが、なかなか就職活動がうまくいかず、開発でも何とか入って仕事せねばと言う思いもあって入ったのですが、意外にも会社内にITインフラをやってる部署があることを知り、そこにストレートに行きたい思いを伝えたところ、一発快諾で配属してもらうことが出来ました。

その年の秋からほぼずーっと親会社に常駐してました。契約形態は準委任になったり派遣だったり色々ありましたが、もっぱらWindowsサーバソリューション、特にOSプラットフォーム周りと旧VERITASが売ってたBackup Execに関する部分が得意だったかなぁと思います。

バックアップシステム作りが得意になった過程

特にシステムバックアップに対する理解を深めるのに必死だったと思います。当時の私はサーバが壊れたらとか、そういう所を凄く気にする不安持ちな性格だったかなと思います。故に、いかにして障害復旧を迅速にするかというのを気にしていたのかなと思います。

今でこそシステムバックアップというのは、イメージバックアップが主流となりましたが、イメージバックアップというのは当時はあまりなく、ファイルバックアップが主流でした。中でもWindowsというOSが最も難しいプラットフォームであり、これをいかに整合性を保ってサーバ全体のバックアップデータとして採取し、復元できるようにするかが勝負だったかなぁと思います。

Active Directoryもそう。どうバックアップしてどう復元するのか、そこをおざなりにすると結構な大目玉を食らう物になるので、かなーり色々調べた経験があります。気づけば実機を準備して評価版ソフトウェアで一生懸命検証に打ち込む自分がいました。

多分一番大規模な物を触ってた時期

会社が会社なので、大規模案件が多くありました。当時の所属会社は2つの大手SIerのジョイントベンチャーということもあり、2方向の案件対応があったわけですが、私はその片方にどっぷりつかった感じです。

当時だと超巨大と言えるTBクラスのファイルサーバ構築だとか、今でも大規模だと思えるんですが、総勢100-200VMを抱えるvSphere基盤構築とその中の認証システム構築とかほぼ全てが「初物」だったように思います。手探りで検証し、後輩を巻き込んでまぁ良くああいうの組めたなーと今でも思います。

辞めちゃった理由

理由は単純で、「弟が入退院を繰り返すようになった」というのと「弟の入院付き添いをしている母が帯状疱疹になって苦しい目に遭ってる」でした。親は「やりたいことを精一杯やれ」と快く関東行きを後押ししてくれたのだけど、それによって人が減って辛い目に遭ってるんだなぁと言うのを痛感しまして。他にもいくつか理由はあるんですが、この理由と比べれば些末なもんです。

2011年末をもって九州に帰ることになりました。

2社目:地場のSIer

初めての転職ですが、地場の特定顧客向けのSIerでした。ちょうどインフラ部門が分社化したとのことで募集がかかっており、ネットワークエンジニアとして転職しています。転職の際はエージェントを活用したのですが、今思えばその選び方って非常に難しいなぁと感じますかね。

ただただ多忙

この会社、ハードウェアは某社のものと決まってはいたものの、ミドルウェアの取り扱いは実に多彩で、自分が苦手としているプロダクトもたくさんありました。結構無知だった領域もぶっつけ本番で突撃する必要があったりで、最初の4ヶ月ぐらいは本当に心の底から震えてました。

また、顧客が広範かつ非常に多く、とにかく何もかもがその時いたメンバーだけでは追いつかない。朝から夜までノンストップメガミックスで働く感じでやってたのですが、なかなかうまくいかず・・会社の上司さんや同僚さんはえらく褒めてくださったんですが、毎日が綱渡りだった印象です。

移動の疲れと仕事のプレッシャーで自爆

とにかく現場への移動が大変でした。九州中に足を運ぶ感じになるためというのがあるんですが、そこを一人車で運転していくというのが関東時代にはなかったきつさかなーと思います。

周囲は決して悪い人ばかりではなかったわけですが、何しろ余裕がない。余裕がないから助言する暇も無いし、それで対応がおろそかになったら叱られる・・というのもあり、なかなか互いの連携をとるのが難しかったなーとは思います。

結局勤め始めて10ヶ月頃でギブアップ宣言をして翌年2月末で退職となりました。

ウェットな人間関係も明るければ良いじゃない

この業界、ドライな人間関係を築くケースが多いと思うのですが、この会社はわりかしウェットでした。昭和的な会社だなーと言うのが第一印象で、次に持った印象としては、義理人情の会社だなーと言うところですかね。

余裕がないのでなかなかうまくいかないものの、どのメンバーも筋を通すと言うことに関してはちゃんとしてたなーという印象を持ってます。「このままだとみんな萎縮してしまうよ」と言うと、いろんな人が空気を変えようと行動してくれましたし、日々怒鳴ってた上司さんもアンガーマネジメントなど勉強しつつ、いかに部下に物事を伝えるのかというのを凄くやりこんでいたなぁ・・と言うのを記憶しています。

何より嬉しかったのは、もう今は辞めてしまってふるさとに帰ってるんですが、後輩が一人居ました。入社した時期的には先輩なのだけど、確か当時2年目だったかなと思います。彼との付き合いは会社を辞めた後、今もなお続いているんですが、彼が当時の上司さんや同僚さんを呼び集めて飲み会を開いてくれたりしたのが嬉しかったです。

また、当時は逃げるように辞めていった私と今後この業界ってどうなっていくのかについて真剣に意見を交換をしたりするその姿勢に心が救われたりもしたなーという感じです。

辞めちゃった理由

これも単純で「体力的にもたない」というのと「ここで定年まで働ける自信が無い」という完全に逃げの姿勢から来るものです。食らいつこうと必死にやってみたけど、その内冗談抜きで倒れるかもしれない・・って感じたのが最も大きなポイントかなぁと思います。

ひ弱だなぁ・・・自分、と思ったけれども、とは言え家族のためにUターンしたのに、家族を顧みない状況だとUターンの意味が無いし・・という奴です。

3社目:現職です。

3社目はある程度読者の方で知ってる方もいらっしゃるかなと思うのですが、現職です。
このときもエージェントで探してたのですが、エージェントが出す適性の高い会社が全部これしか出てこなかった・・ということで、当初は私自身受かると思ってませんでした。

記念と腕試し兼ねて挑んでみるかと思ったらまさかの選考通過になりまして、なんとまぁどういう過大評価をされたんだと焦りました。

入社当初から七転八倒

入社した最初の印象、それは原則に中途で入社した人々がおんなじ事を言うのですが「とんでもなくやべぇ場所に来てしまった」です。やべぇというのは褒め言葉で、

  • とってもスピーディ
  • プロパー・パートナー双方の技術レベルが高い
  • そもそも某E社のストレージからコンソール直接開けて触る奴なんて見たことがない
  • 当たり前に周囲を見渡してやばそうな人が居たら自主的に助けてる
  • 決断が超早い

大体私、周囲を鼓舞して行くタイプの人間でしたが、周囲はそれは当たり前のごとくやってるばかりか、私の方がむしろここに居ると凄くレベルが低く見える。入社早々自信喪失に陥りました。

ちゃんと慣れるようになったのはそれから1年経過してからのことです。

ストレージを多く触っていた

私の当時のスキルとして誇れる物は「仮想基盤の構築と移行が出来ること」だったのですが、何故か「ストレージの出来る人」と思われたらしく、ただひたすらストレージ関連のお仕事が前半は多かったように感じています。当然付随する物として仮想基盤も組み立てるってのはあったのですが。

今思えば、確かに昔はIBM FasTとかも触っていた時期がありますが、Zoningを覚えたのが2010年頃、そっからまさか2013年になってからこんだけストレージの知識が身につくとはねーと。3PARやらVNXやらVMAXやらMSAやら色々触ってました。これらのストレージ知見は完全に現職に入ってからのノウハウですね。

調べる技術

現職に入ってからさらに増えたのは「調べる」技術です。元々調べるのはよくやる人間ですが、より効率的な検索ワードとかを考えるようになったのはこの頃で、特に検証等に関しては新たなプロダクトを扱うケースがあり、IT以外の周辺技術とかも検索する必要があったりで、気づけば知識の幅は関東時代より広がったんじゃないかなーという気すらします。

完璧主義者ではない「つもり」だった

ただ、そこから足を踏み外したのが2017年の冒頭だったと思います。

あんまり背景は話せないのだけど、周りは悪くなくて、どちらかというと自分自身がいつの間にか完璧主義者になっていました。そして、それまで細かく石橋を叩きながら進めていくやり方が変化していて、直感に頼る人間になっていました。

直感で出せていた答えが出せなくなった、これが実は一番大きなインパクトがあり、当時自分の目の前が真っ暗になり、ある仕事で今後どうしていったら良いのか分からないと、一人で頭を抱えている状態に陥るのが増えました。

2月頃にそれが完全に破綻を迎え、いきなり転職だ転職だと言いだして、周囲に迷惑をかけたりしました。あの時は本当に生きる方向を見失ったような気がしました。

んで、休職。そして復職、さらに難病・・・とか波瀾万丈な事が起きながら今に至っています。

3社を経て感じること

やっぱり、仕事って楽しんでナンボです。遊びじゃないんだからと言われるケースもあるのかもしれませんが、仕事を楽しむというのは別に遊びとイコールじゃないです。私がやってる仕事ってのは、結局の所「相手の困りごとを解決する」仕事です。それが単に技術側面の比率が高いだけです。

やっぱりどんな顧客であれ、顧客の困りごとを解決したら顧客は喜びますし、そうした解決策の模索が出来るというのは、何かしら貢献が出来るという意味合いでいいもんだなーと感じます。
今でも、Azureというあるクラウド技術を自身に取り込みながら、継続して常に何に貢献できるか?を考えながら一歩一歩人生の道を歩んでる感じではいます。

難病を患い、実際には死ぬ確率なんて全然低いですが、それでも死を意識するようにはなりました。クリーゼになったときに、誰も助けに呼べなければ下手すれば死にますもんね。それが、より「人生を楽しもう」と方向に舵を切る後押しにもなっているのかなと思います。

多分、前職2社を渡り歩かずに現職にたどり着くことはなかった・・そう思っています。これはこれで非常にありがたいことだと思っていますし、人生上必要なピースだったとも思っています。

ほぼポエムーな内容ではありますが、何かしら参考になれば幸いです。

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