[misc]2019年を振り返る

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結論から言うと

非常に変化に富んだ一年でした。
多分、2017年時点の私だと全く想像できない。予想し得ない喜びと不安を織り交ぜて味わいまくった一年になったのかなと思います。

また、死を常に意識した一年でもありました。酸素飽和度が90%とか89%になったときは真面目に身震いするほど怖かったです。クリーゼとまではいきませんが、椅子に座って姿勢を維持するのも辛い、それこそ寝たきり直行パターンになりかけた時期もありました。
それでも今こうして仕事に通えて、稼げて、今こんな記事を書いたり過日書いたような検証ネタとかが載せられたりするのは、ホント多くの幸運と周りに居た人たちのおかげだと思います。

この場を借りて、記事を読んでくださっている方々も含めて御礼申し上げます。

予想以上に大変な病とのお付き合い

今後俺どうなるんだろうかなー・・・いずれ慣れるかなー・・・そう思っていたわけですが、予想以上に病への慣れというのはできず、逆に毎日がヒーヒーと悲鳴が上がりそうな感じではありました。

発症当初ですら想像しなかった入院やら障害者手帳の発行やら本当に様々ありましたとも。ええ。
恐らく来年もこんな感じになるのかなーとは思っていますが、もう少し楽になれないものか。

とは言え、本気で辛い・・・と言ってるのはあくまで健常だったころの感覚で行動する場合であり、割り切って車椅子を使ってみたり、要所要所で休んだりするとそれなりに時間はかかるけど動けることは分かりました。小さな幸せをいかにかみしめられるかが重要な気がします。

初めてヤフオク!ドームに入りました。(○イペ○ドーム?知らんなぁ)

ある日には、クライマックスシリーズのパブリックビューイングにもいけましたし。人混みが苦手な私でも何とか入ることが出来ました。車椅子ゾーンは満室だったので、階段を上る必要がありましたが、そこは短時間であれば筋力あるんで、それでカバー・・

技術領域を思い切り拡大させた1年

私ね、昨年の時点でPaaSと言うのがどんなものか全く知らないんですよ。マジで。Herokuの話は大昔からよく聞くんですが、一度触ってみて「は?よーわからん」とか言ってた私がバリバリPaaS基盤に手を出してるわけですよ。開発者目線ってのが1mmぐらいは分ったんじゃないかと信じたい今日この頃です。

基本的にはオンプレミス環境と連携する構成を取るスタイル

それ以前にPublic Cloudに手を出してる状況が一番の衝撃というか、あれだけ嫌いだったクラウドをよくぞまぁ今あんだけ使う気になるよなぁと。昔の私が今の姿を見たら「裏切り者!」ぐらい言いそうかも。

果敢にコミュニティに首突っ込んだ一年

取り敢えずLTでも良いからなんかプレゼンしようという目標を元々定めてました。はい、現在結構己を奮い立たせながらガンガンやってます。とは言え同時に無理も結構してます。だってさ、無理しないようにしたら結局の所何もできないじゃん・・・ショボ──(´・ω・`)──ン

ふくあず night #2でこんなのも作りました。

でも無理した甲斐はあると思います。少しは人間関係広がったかなーと。

しかしながら、不思議と社交性は年々明らかに落ちています。他人の考えてることがわかんないっていう発達障害系の症状が少し目立ってきてる感じはしています。飲み会の場に居ると明らかにずれた発言をしてみんながドン引きしてるし、飲み会の場で一人距離をとって静かにたたずむことが増えました。

でもこれはこれで仕方がなく、自分自身にとって心が最も健やかになれるものなのかをちゃんと押さえておかねばならんなぁと。無理して他人に追従する必要はない、そう考えながら、でもあんまりスルーしすぎないように、色々諸々考えを張り巡らしたりはしています。

30年ぶりの入院

今年から免疫グロブリンの投与を受けるために数回入院をしました。実に9歳のころに交通事故で顎関節を骨折して入院した以来30年ぶりのイベントになってしまいましたが、ここでも色んな人の出会いがあったりして、視野が大きく広がったかなーと思います。

看護師さん方が何を考え、何を最善として行動しているかが垣間見られ、どこかプロジェクト活動に近い物を感じたりもしました。

患者間の付き合いはあくまで入院の時だけかなーと思ったんですが、一人ほどその後も続く人間関係ができました。今も時々メールをやり取りしていたりします。

父、大怪我する

珍しく11月に父が怪我しました。柿の木の剪定時に腐った枝をつかんでしまい、それはもう静かに脚立から落下し、2m程崖を滑り落ちて、アスファルトに叩きつけられたようで、右大腿部の筋断裂と股関節付近を骨折して現在も治療中です。落下する際に左手にチェーンソーを構えてたと聞いたときはゾッとしました。

まぁ我が父はよく働く人で、父の生まれ故郷へ行っては伯母の農業を手伝い、戻ってきたら今度は町内会や地区の行事のとりまとめなんかをしてるそうで、なんでしょうね、なんでこんな偉大な両親から生まれた子供がこんなに出来損ないなんだろうかとよく思います。

まだ全快はできておらず、1月か2月あたりに完治の見込みと。もう若くないのだからと口酸っぱくいってみるものの、なかなかうまくいかないもんです。

家族がこうしてけがしない人もけがをしうる、病気をしない人も病気しうる,そんな状況であることを痛感しました。時って残酷だ・・・

確実に弱っては居るけど

なんとなくですね、重症筋無力症以外に何か変な要素が働いているような気がしており、果たして私は50以上まで居きられるんだろうか?と漠然とした不安を抱えていたりはします。

東京で働いていたころの上長がくれた言葉で、「ピンチはチャンス」という言葉と「悔いの残らない選択を」という言葉を今でも覚えてるんですが、特に後者、悔いを残さぬよう、「やるだけやったんだ俺は」と言えるよう、それを念頭に置いて生きてゆこうと思います。

来年もこうして年末になんかかけることを願って。

それでは良いお年を。

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