ちょっと趣向を変えた記事を書いてみる
いつも技術投稿か、闘病日記ばかりなので、少し趣向を変えた記事を書いてみることにしました。
生まれも育ちも北九州、でも血筋は熊本
私、生まれは北九州、育ちも北九州という身ではあるのですが、実は父も母も熊本県出身でして、特に父の実家がなかなか凄いところでございまして。熊本県南部のとある所に村があるんですが、そこなんですね。
熊本県球磨郡五木村・・と言います。
平成の大合併で周辺の村や町が大きな市などに統合されていく中、五木村はそうはならずに村のままで今も存続し続けています。しかし、人口はどうやら1,000人を割り込んでしまったようで、至る所に限界集落が出来ていたりします。
多分に漏れず、我が父の実家もそうした限界集落の1つで、半径1Km以内にある世帯数はわずか3つ、そこからさらにとなりへ行こうとすると、片方は車で5分ほどの距離で住むのですが、もう片方はもはや「下山」です。山を下りた麓に集落がある・・というもので、車だと10分前後かかるかなと思います。歩いたら30分-45分かかるんじゃないだろうかという感じです。
村の成り立ちが少々変わってるそうで
通常、こうした人口の少ない村や町というのは、小規模の集落がいくつか点在し、そこで結構人がそこそこに集まっていたりするものですが、この村はそれを考慮しても余りにも限界集落が多く存在するというか、昔からかなりポツーンポツーンと集落が小さく点在していたようなのです。
どうやら村の成り立ちとして、球磨郡周辺にある村は平家の落人が隠れ住んでいて成り立ったものであるという言い伝えがあって、落人であるが故に当時戦に勝利した源氏に見つかったら命を繋ぐことが出来ない・・・ということもあり、とにかくパラパラと点在しては農民として隠れ住むと言うことが求められたようで。
故に、昔からあまり密集して暮らすということをしてなかったらしい・・とのことです。
五木村で有名なものと言えば
子守歌
五木の子守歌というのがあります。「おどまぼんぎりぼーんぎり・・」から始まる子守歌なんですが、昔はかなりこの子守歌が有名だったりしたそうです。これを観光のベースと据えて「子守唄の里」と呼んで観光産業に力を入れている・・・のですが、最近はだいぶその後以降は衰えたのかなぁと言う気がします。
実はよく知られている五木の子守歌は正式なものではなく、全く曲調の違う「正調 五木の子守歌」というものがあり、この存在が判明してからは「こっちが正式版だよ!」と一生懸命訴え続けた時期があったように思います。村内では各戸に設置された無線放送機で時報を流すんですが、これは今でも「正調」の方の子守歌が流れるようになっています。
逆にこれにこだわりすぎて強調しすぎたことで、一般の人は混乱しちゃったんじゃないかなーと言う気がします。聞く分には正調よりは、その前に聞いた子守歌の方が聞きやすいですしね。
豆腐の味噌漬け・山うに豆腐
個人的にお勧めなのが「豆腐」です。
全国でも珍しい部類に入ると思うのですが、いわゆる「堅豆腐」というものを伝統的に作っています。かなり濃い豆乳をしっかり水抜きしながら作っているため、普通の木綿豆腐と比べても別物と言って良いほどにムッチリと中身が詰まった豆腐になっています。
そして、これの加工品である「豆腐の味噌漬け」が名産になっています。以下のサイトで販売されてます。一応豆腐それ自体も買えるんですが、とにかく日持ちしないので、加工品を買う方が賢明なように思います。
読んで字のごとし、堅豆腐を味噌に漬け込んだ食べ物で、別名「山のチーズ」と言われたりした時期もあります。本来は水分が抜けてかなり固め(それこそ硬めのチーズ)なんですが、漬け方を変えてとろとろに柔らかくした「山うに豆腐」というのもあります。時代的には、山うに豆腐が後発ですね。
いずれもご飯が進む食べ物で、私はこれ入手するたびにニヤニヤしながらご飯食ってます。
川魚とか
川魚も捕れます。よく売り出されるのはヤマメじゃないかなと思います。後はニジマスとか。串に刺して遠火で焼く訳なのですが、これが意外と結構な手間だったりします。
川魚はうろこの代わりに表面が粘液で覆われており、これがぬめりと生臭さを生むので、塩をまぶしてこれを取り去ったり、その上で身を洗って串を通す必要があったりするんで、焼けたときはそりゃもう達成感は半端ないっすね。

自然は飽きない
子供のころは全く興味のなかった自然ですが、やっぱり年をとると興味が芽生えると言いますか、いつ見てもナンボ眺めても飽きないです。のんびり何を考えるでもなくぼけーっと眺める四季の姿はなかなかの財産になるなぁと感じました。
山桜が季節外れの開花だったようで 年に1度程度雪が積もります。 川の水は・・・飲める! 天気が良いと雲仙普賢岳だって見えます・・たぶん。
五木村では農業に加えて林業もがっつりやっていて、時々もの凄く巨大な材木を積んだトラックが「おい、そことおれるんか?」ってぐらいの細い林道をパワフルに走っていたりします。
標高が高いので・・
父の実家は標高600m程度の所にあり、そこでここ最近はニンニクの栽培を行っています。
品種は青森県産とかが有名な「ホワイト六片」という品種で、普通の八片から十二片のニンニクと比較すると甘みが強くて匂いが控えめというドリームな品種なのでありまして。
青森の品種を分けて貰って、この標高の高さなら同等の環境が実現するのではないかと言うことで、何年前からだろう・・もう十年以上前な気がするんですが、伯母が定年退職してUターンし、始めたのがこれでした。毎年何とか生産できているようで、父も月一ぐらいの頻度で1週間程度滞在してはこの農作業を手伝っています。
収穫されたニンニク とれたらこんな感じ 収穫時の様子 すくすく育つ 栽培してるところはこんなとこ すくすく育て
他の家でもこれを育ててみようという動きがあったりしてると聞いたことがあり、これがまた一つの目玉産業になったら良いよねーとは思います。時々にしてつストアなんかで売られてることがあるみたいです。
加工品としては、このニンニクを発酵させた「黒ニンニク」とか油で揚げた「ニンニクチップス」とか。道の駅で販売されていたりするようです。他、普通に食ってるものとしてはニンニク味噌。これは味噌汁の味噌として使うと結構面白い味がして良いです。
ちなみに気圧も当然低いです。地上で1020hPaぐらいの気圧だとしたら、大体同じような天気の所でここでは970hPaぐらいまで下がります。なので、余り急いでくると耳詰まりしたり、体調を崩したりするので、来る際は休み休みゆっくりのんびりお越しになることがお勧めです。
数少ない天の川が見える場所だと思う
標高が高いこともあり、めまぐるしく天候が変わってしまうためになかなか拝むのも難しいんですが、晴天で夜を迎えるとかなーりきれいな星空を拝むことが出来ます。とは言え、街灯のある場所では余り見えなくて、街灯の明かりを消したところや、街灯のないところでこのような空を見ることが出来ます。
そして、意外にも名物が出来たりした。
まさかのバンジージャンプ・・・・・
元々五木村の中心地である頭地地区は、そこを流れる川辺川に寄り添うように存在していたんですが、川辺川ダムの建設と共に代替え地へ移転しました。その場所を繋ぐ2つの橋の一つである小八重橋にこの発射口が備え付けられており、66mのダイブを楽しむことが出来るようです。
色々困難な状況にはあるけれど
正直、五木村に移住する人なんてそんな居るとは思えないし、実際生活するとなるとかなりの労苦を伴います。災害発生時は容易に道路は寸断されるし、過去の九州豪雨ではかなりの橋が流され、特に折立地区へはほぼ入り込めないほどに色々な箇所で道路が寸断されました。
平均年齢もどんどん上がり、実際父の実家で暮らしているのは70代の伯母と90代の祖母の2人です。いつまでもこの生活が成立するか?と言うと成立するわけがなく。実際父も頭を抱えている状況じゃないかなぁと思います。
それでも、この村の人たちは何とかして盛り上げていこうと日々を必死に生きており、とは言っても独特ののんびり加減でちょうど良いぐらいに明るくほんわかした雰囲気を醸し出しています。
熊本県南部は宮崎県や鹿児島県の文化も流入していて、熊本市とか荒尾市のような熊本県北部とはまた全く違う独特の文化がありますので、一度いらしてみると面白いんじゃないかなと思うので、是非。
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