揺れる心の中で

あの時、私の後輩たちは何を考え、黙り続けていたのか?
これは、私が会社を退職していく中で一番大きく残ったしこりです。

私を悪者としてみていたのか、それとも憐憫の対象としてみていたのか、あるいはどーでもよいと思っていたのか。いろいろ考えてしまいますが、彼らが私が出ていくのを惜しいと思う人はいなかったんだろうということだけは私の中で確定しています。

ただ、嘲笑だけはしてないと信じたい、薄ら笑いを浮かべたまま「自殺でもして死んでしまえ」とだけは思っていないと信じたい自分がいます。逆にそうに決まってると決めつけたがる自分もいます。そこだけははっきりしてほしいと思っていて。それをほったらかしにすると、私の中で本来そこまでひどくもない彼らの像がどんどんモンスターになっていって、社会に対する絶望しか残らなくなる。

今もあの時の絶望のショックは残っていて、もう少しさかのぼってみて暴言を吐いてしまった当時の後悔をただただ繰り返し続けています。あんなに明示的に後悔という形で残った出来事は初めてでした。あの時私は何をすればよかったか、何で示せばよかったのか、互いにアラートを発しあってる中で何を見失っていたのかとか、無意識に考え続けています。

その時の行動について、まずは謝りたい。きっと〇〇だろうと推測だけですべてを決めつけたくはないと思いつつ、取り戻せぬ日々をただただ振り返り続けている自分がいます。こうしたところに一定の決着をつけることも、私の中で一つの入院期間中に対する課題と位置付けて、退院するときにはもう少し吹っ切れた形で人生を歩んでいきたい自分がいます。

だから、関係者方々の力を借りていろいろ相談してはいます。結果はどんな形で分かるにしても、それを受け止められるだけの準備は進めながらやっていこうかと思っているところです。

やっぱり、向こう見ずな行動をとった結果に対して、その時とれる最善の手段を私は取り続けたいし、手を尽くした上でダメならそれを受け入れたい。ある期間を過ぎてから先は、前を見れるようにしておきたい。周囲で私のせいで前を見れなくなってしまっている人には、前を見れるように働きかけていきたい。

それは、私という人間に課した一種の責任である、そう考えているところです。

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