重症筋無力症になってよかったか?

日々徒然

重症筋無力症とは、「自己免疫疾患」である。

私が患ってる病の中で、ガチ「不治の病」というのが「重症筋無力症」という自己免疫疾患です。
この病気、所謂神経と筋肉の間を仲介する「神経筋接合部」というところで、自分自身の持つ免疫機能が壊れ、自分自身の回路を攻撃してしまう病気です。まずは、その症状が発生するメカニズムについて説明します。

体が動く仕組み

まずは、脳から体に動け!って信号を送る過程を言うと、

  1. 脳みそが腕に対して「腕まげて」っていう
  2. 神経を通じて「腕まげて」っていう信号を発信する
    • 実際にはどこそこの筋肉に縮め、どこそこの筋肉に延びろって信号を混ぜたような感じの何かを流す
  3. 神経筋接合部には、神経からの信号を受け取る「レセプタ」というのがある
    そのレセプタに対して接続部にいる細胞が、「アセチルコリン」という物質を流す
  4. レセプタはアセチルコリンを通して得られる信号に基づいて、筋肉に対して筋繊維を伸ばす・縮むといった指令を投げる
  5. 筋肉はその信号を得て筋繊維を伸ばす・縮ませるといった動作をする
  6. マクロでみると、全体としては腕を曲げる・伸ばすができていることになる

ということが行われます。

指令が届かなくなる「神経難病」

この病気は、どこかで勉強ミスった自己抗体が項番3で記述した「アセチルコリンを流すための受け皿、レセプタ」に対して蓋をしてしまう病気です。

蓋をされてしまったレセプタには、アセチルコリンがどんなに発射されてもそれが届かない、あるいは届いても少量しかなかったりして、結果として「筋肉に力が入らない」という状況に陥ります。これが重症筋無力症が発生するメカニズムです。

つまり、「自己免疫疾患」なので、これを細かく制御するすべをいまだ人類は持ち合わせておらず、また、自己免疫を完全駆逐してしまうと自身の免疫構造が破綻して生きていけなくなります(HIV感染症の行きつく果ては全く別のメカニズムですが、免疫機能が完全に破綻し、ありとあらゆる病気になりやすい体になることで、生体機構が破壊され、死に至るのです)。それゆえ、この病気は一種の「不治の病」と言えます。

とはいえ、実はこの病気は神経細胞そのものが完全に破壊されるALS(筋委縮性側索硬化症)でもなければ、神経細胞が部分的に破壊される(多発性硬化症)でもなく、しかも蓋をされたレセプタは休憩をすれば一定量は回復するということで、神経難病としてはそれほど重くない部類として扱われることが多いです。が、それでも重い病気であるのは確かでして。

進行性じゃないけど、体は動かなくなる

私ら重症筋無力症の患者は大体神経内科にかかることが多く、その際医者からこういわれます。

「よかったね、進行性じゃないよ」

進行性ではありません。重症化しないというか、例えば私が人工呼吸器のお世話になることはあんまりありません。が、体は動かなくなります。え、どういうこと?って思うじゃぁないですか。

筋肉が反応しないということは、筋繊維は繊維単位で動かなくなっていく

これが何を意味するかというと、縮みも伸びも自律的にやらない筋肉は「ほっといても痩せていきます」。どんなに運動していても、自律的に動いてくれない限りは筋肉って鍛えてくれません。なので、どんどん筋肉は衰えていきます。下手に筋肉量がある場合、その筋肉が固くなって痛みを発することだってあります。

残る筋繊維だけで踏ん張ると待ち受けるのは筋肉痛、そして炎症

筋繊維単位で反応する筋肉、反応しない筋肉が出てくるため、負荷の偏りが出ます。筋繊維が切断されるとそれを再生するために炎症が起き、筋肉痛が生まれます。日常の操作をするにも筋肉痛が伴って体がぎくしゃくすることがあります。

そんな選択式に特定の抗体だけを跳ね返すようにはならないっぽい

免疫が勉強し損ねた結果、免疫疾患は起きますけれども、別に「アセチルコリンだけ」を狙って勉強を怠ったとは思えず、結果として潜在的に別の疾患リスクをはらんでいる場合も少なくないです。例えば私の場合、手の震え、足の震えが重症化してくると発生します。それによって、精密な手先の作業が困難になることがしばしばあります。

これのせいで、例えば昔私はインフラエンジニアをしていましたが、結線したケーブルのまとめ込みであったり、本数数えたり、手書きで構成図を描いたり、そういうところでも支障が出ました。パソコンのキーの押し間違いなんてざらで、同じ間違いをするたび気持ちがうんざりすることもありました。

治療しても、やせた筋肉は戻らないし体力も戻らない

なので、入院治療を受けて動かせるようになったら、今度はリハビリで運動させられますが、一度やせた筋肉を戻すには相当な運動量が必要です。とはいえ、疾患は残っているので、あまり体に無理をさせすぎると逆に病状が悪化方向に傾いてさらに悲惨なことになったりもします。

眼瞼下垂によって増えるのはストレスと頭痛

眼瞼下垂というこの病気の特徴といえる症状があります。瞼が急激に重くなり、ひどいときは目が開けられなかったり、斜視が発生してしまって目が見えづらくなることがあります。私の場合は回線斜視という特殊な斜視になることがあります。
回線斜視になると、目の位置は正常ながら、目の水平が保てなくなり、瞳を中心に開戦してしまう状態をいいます。はい、地平線が傾きます。こうしたとき、脳はその補正を即座に行おうとしますが、そのために脳に過度の負担を強いたり、逆に見えづらくなってしまって眼輪筋をさらに酷使し、結果として頭痛が発生することも多いです。車の運転中にこれが起きるともう最悪です。なので、車の運転はもっぱら妻のタスクになってしまいました。

何が苦痛なの?

このあたりの苦痛は、たぶんなった人しかわからないです。
なんていうか、私の場合は「なんだか仕事遊んでそうでいいなー」とか「なんであんなんで給料もらえてるんだ?」とか白い目で見られるケースがゼロではないものの、それなりにあったようです。結果、そうした白い目に気づきだしたことが会社を辞めてしまう最初のきっかけになってしまいました。

よくある話ですが、「体は動かなくても頭はしっかりしてるんでしょ?」って問い、答えはNOです。
体が動かず、それをカバーする間に頭は相当な計算処理を行います。意識的にはしないので、無意識化で起こることですけど、そうしたカバーする行為(代償行為という)を繰り返すと、その分脳内の計算効率は確実に落ちます。体調の良いときはまだそこの負荷が低い分頭の働きも悪くはないですが、代償行為が増えると本当に頭が動かなくなっていきます。

特に眼瞼下垂の影響はかなりでかく、私の場合は眼輪筋が悲鳴を上げるともれなく耳鳴りが発生しました。毎回キーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンィンィンィンィンィンィン・・・・って音が耳にこだまします。これがすごいストレスなんです。頭の中で電流が走ったように体がびくっとなるんですね。これがめっちゃストレスなのです。考えてる最中になんで耳鳴りするんじゃあほー!って頭の中で叫んだ時期もあったほどです。

そうした状況が続き、いよいよ体が動かなくなるとまさに「ブレインフォッグ」がどこまでも続きます。寝ても寝てもしんどい状況が次の治療が着手されるまで待たなければなりません。

エンジニアの本文は「対顧客コミュニケーション」である

IT業界に昨年ごろ絶望しましたけれども、エンジニアが苦手としがちなのが「顧客とのコミュニケーション」です。これが確実にできなくなります。メールベースだとどうやってメッセージを描けばもっとも伝わるか考えなければなりませんし、オンサイトの打ち合わせなどは体感の力が弱ると机に突っ伏すこともありますし、まぁまぁお客さんの目から見てもその姿は「失礼そのもの」ですし。

リモートトークでも通信不良で大事なところを聞き逃したり、取りこぼしたりも多く、非常にやり取りが難しくなります。結果、バックヤードにこもることになりますが、私自身喋り好きの顧客コミュニケーション大の得意だったはずが、一気に引きこもり人間になり、気づかぬうちに社内的なコミュニケーションからも取り残されがちになっていきました。だれとも話さず、気づいたらみんないないって状況、ぶっちゃけ苦痛ですよ。

雑談とかで同僚に声かけるのも日がたつにつれて「暇な私が声かけたら迷惑かも」って思ったら徐々にできなくなっていき、集中してるふりしてごまかす日も時間数も徐々にですが増えていきました。
この誰もが嫌がる仕事を手掛けていたから、私は人気があったのかなとも感じました。コミュニケーションできないエンジニアはいくら技術あっても後ろ指差されることが多いです。
あいつは遊んでるだけじゃないのか?って言われるきっかけもそうした顧客打ち合わせに出ることが難しい状況があったことが原因です。その結果もたらされる孤独にあなたは耐えられるでしょうか?少なくとも私には無理でした。

外へ遊びに行けないジレンマ

私は大体日曜などはドライブに出て車で走ってしばらくすればたどり着ける佐賀県だったり、県内だと五ケ山ダム近辺をドライブしたりで気を紛らせたりしてましたが、そういうことが一気に難しくなりました。外に出た瞬間子なき爺でも乗ったのか?というぐらいに体は重くなるし、運転してると「お前昨晩ちゃんと眠ったのか?」と突っ込みを食らうぐらいには瞼下がりますし、帰り着くときには疲れ果てて気絶しそうだし。

気づけば車の運転はすべて妻にお願い、私は車で意識不明になる状況で外に出るばかりで、みんなでワイワイすることがほぼなくなりました。これも一つ孤独を強く感じる羽目になったきっかけといえるんじゃないかと思います。

だから結局健康が一番なんだって

私のこの病気発生トリガーはおそらくは、発達障害からなる難治性うつ病です。
昨今、うつ病は脳の炎症に端を発する器質性の病気なのではないか?と言われ始めていますが、この病気の発端はたぶんそこです。私自身発達障害であることを知ったのはうつ病が発言してしばらくしたところで、しかしながら子供のころは特にまともならざる行動をよくしては両親にひどく怒られていたという時期がありました。

そういうことを繰り返すことのないように、絶対記憶を飛ばすようなことはしない、自覚自意識を頑として持ち続けることを心に決めて、40歳ぐらいまでは働きづめでした。この時相当な緊張状態を自分自身に敷いたことは自覚していて、それが災いしたんだろうなと推察しています。

脳なり神経なりで発生した炎症がやがて免疫のメカニズムを狂わせた結果、「緩解したこれからが勝負」と挑んだ職務復帰時に私はこの病気が発覚しました。

私はその後、できるだけめげぬよう一生懸命働きました。基盤基本設計まではまだ何とか出来ていたころだったので、設計者として成り立てば大丈夫だろうと思いましたが、そこの部分しか割り振られない状況はエンジニアとしては若手相当のレベルに過ぎず、そこからさらに上流工程の調整ができるようなまで回復することは全く持ってありませんでした。それまでけん引していたのがけん引される側に回る、どんなにそこでうまく周りのみんなを運んでも現場で覆される、結果不要視される・・・それがあって部署を変更して研究職のほうに挑んだわけですが、結果としてふがいないものになることを助長するだけで、たった4年で私の精神は持たなくなりくじけてしまったということになります。

配慮は過分すぎるほど会社でしてもらいました。逆にそれが罪悪感を強めたところはあれど、配慮されないことに対して怒りを持つというケースは基本的にありませんでした。自身の力がどんどん落ちていくことに焦り、やがて周りを信じられなくなり、精神的に破綻して大きな声を上げたら、周りの人が誰も相手してくれなくなってしまった・・その際の様子を振り返ると、檻に入れられたサルが与えられた餌だけ食べてるような、そんな気分でした。

こういうの、絶対経験せずに済むなら経験しないほうがいいです。ぜひとも心身は健康に保ってくださりませ。そして、そうしたものにも願うことが許される希望の持てる未来があることを、ただただ祈るのみです。

ほんと、「重症筋無力症」になってよかったと思えたことは今のところほぼないです。

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